冬の眠り

冬の眠り (幻冬舎文庫)冬の眠り (幻冬舎文庫)

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(298頁より引用)

棲んでいるのは、一対の雄と雌である。
二人は、のたうち回りながら絵を描き、どうしても満足できずにさらに苦しみ、しかしお互いの絵を二つ合わせると、なにか安心できるものが発見できるらしく、いがみ合い、闘い、舐めあいながら、他人がつけ入ることができない世界を、二人でいつの間にか作りあげてしまったのだった。
[感想]
僕は絵が描けない。でも、楽器をやっていたので、このような不安と不満の世界を体験したことがある。個人練習ではどうしても満足できない安心できない何か欠けたような気分になり随分苦しんだが、バンド練習になるとメンバーの音の中に安心できる何かが感じられ、それにつられて自分自身も万能であるかのような気分になったものだった。
北方謙三は絵描きではないが、おそらく駆け出し作家だった頃に同じような苦しみを感じたんだろうと思う。でも作家だから補完の安心感というものはなかったんだろうなぁとも思う。
本作は、絵描きの周りに集まってくる人間の織り成す物語である。
ハードボイルドなのに執拗なアイテム描写が少なく、男と女、男と男の想いの面が濃く出ている。
突っ走り自分の拘りに執念深い男という生き物と、一見か弱く見えるが強く豪胆な女という生き物を、「絵」という創造活動の周囲にちりばめたうえで、幸せな滅びという結論に達する。
個人的には、甘く切ない気分になる。
[情報]
ISBN4-87728-708-6
北方謙三
幻冬舎文庫

ベトナム戦記

ベトナム戦記 (朝日文庫)ベトナム戦記 (朝日文庫)

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(170頁より引用)

人間は何か「自然」のいたずらで地上に出現した、大脳の退化した二足獣なのだという感想だけが体のなかをうごいていた。私はおしひしがれ、「人間」にも自分にも絶望をおぼえていた。数年前にアウシュビッツ収容所の荒野の池の底に無数の白骨の破片が貝殻のように冬の陽のなかで閃いているのを見たとき以来の、短くて強力な絶望だけが体を占めていることを発見した。

(249頁より引用)

あとでジャングルのなかで集結したとき、私は30名ほどの負傷兵を見た。あたりはぼろきれと血の氾濫であった。彼らは肩をぬかれ、腿に穴があき、鼻を削られ、尻をそがれ、顎を砕かれていた。しかし、誰一人として呻めくものもなく、悶えるものもなかった。血の池のなかで彼らはたったり、しゃがんだりし、ただびっくりしたようにまじまじと眼をみはって木や空を眺めていた。そしてひっそりと死んだ。ピンに刺されたイナゴのようにひっそりと死んでいった。いまたっていたのがふとしゃがんだなと思ったら、いつのまにか死んでいるのだった。
[感想]
1964年から65年にかけてのベトナムの様子を、民衆側からみたルポタージュ。
ベトナム戦争の悲しさ、過酷さを、民間に紛れ込んだり従軍したりしながら伝えている。
なんというか、人民はいつも悲しいもので、下っ端の兵隊も辛いだけだと感じた。
この戦争はベトナムの権力者とアメリカの指導者がおこした道化だと、戦争は勇ましくかっこいいものでは無いということを強烈に刻み付けられた。
前の引用は、ベトコンとみられる少年の公開処刑後の開高の感想。
後の引用は、前線を従軍して大半の兵が死んでしまう過酷な作戦の最中の光景。
共に強烈な文章だと思う。
前半〜中盤は無血クーデターの様子とベトナムの気風を紹介しているが、このあたりは未だ切迫感は少なくどちらかといえば面白く読める。
しかし、「ベトコン少年、暁に死す」の章からあとの後半部分は、戦争というものがどれだけ苛烈かということを、切迫感のある文章で書いている。特に「姿なき狙撃者!ジャングル戦」の章は、実際の死地の様子を、時を追って描いている。開高も秋元カメラマンも良く生き残ったものだと思う。
人が簡単に死んでゆく様を読むのは、堪らなく辛い。
人は本当に「大脳の退化した二足獣」なのだろうか。戦争反対と簡単に叫ぶことすらできない。
戦争の本質は、255ページ目の開高自身の写真から感じる呆然自失なんだろうな。
チョーヨーイだ。
[情報]
ISBN-10: 402260607X
著者名:開高 健
発行元:朝日文庫

行きどまり

行きどまり (講談社文庫)行きどまり (講談社文庫)

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(267頁より引用)

「くたばる場所。それが行き着くとこさ」
「おい、そんなこと考えてんのか、安?」
「人間は、みんなくたばるんだぜ。明日かもしれないし、一年後かもしれない。五十年後、六十年後かもしれない。百年後ってことは、俺たちにはねえだろう」
「そうだな」
「いずれ、そこへ行き着くんだ」
「考えるなってことか」
「行き着くところは、ひとつさ」
「いいよな、そんなふうに思えたら」
[感想]
ごく普通の二人の若者が、些細なきっかけを元に落ちていく話。
友情と自分自身のあり方へのこだわりがテーマになっている。
北方らしく、「かっこいい男」「つよい女」と「卑怯な男」「情けない男」が出てくるが、「かっこいい男」の引き立て方、描写の仕方が際立っている。
主人公の新井安彦と友人の山口敬二の、熱い友情、お互いを知った者どおしの優しさは読んでて「かっこいいな」と思った。
しかし、北方が書く「かっこいい男」は、本当に自分のあり方についてこだわるよなぁ。こだわる事が男の生き様だと云えども、ここまで徹底的に「あり方」にこだわる事は大変だよな。そこが魅力なんだけどね。
[情報]
出版社: 徳間書店 (1998/01)
ISBN-10: 4198908168

水色の犬

水色の犬 (徳間文庫)

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(291頁より引用)

自分が溶けていきそうになる。そう思った。このまま、ニューヨークへなぜ行けないのか。行ったら、爺さんが怒りでもするのか。
仲間、だった。仲間は、死んでも仲間だ。仲間が殺されたということは、俺が殺されたということだった。
「男っての、いろいろ面倒臭くてよ」
唇を離し、俺は言った。あけみの髪に触れ、笑ってみせる。
笑えた、と俺は思った。
[感想]
高校を出て窓拭きのバイトをしている黒木が、平田というピアニストの爺さんに出会い、薬の売人をしながらのし上がっていくが、あと少しのところで上手くいかなくなるというストーリー。
爺さんも黒木も、ちょっとした行動にこだわりがある。煙草はジターン、ジャズに竹細工。
最後の場面でSummerTimeの歌詞が出てくる。穏やかで豊かな暮らしを想像して貧しい現状に耐える、そういう歌詞だ。そういえば黒人の歌い奏でるSummerTimeは、情念深く、熱に浮かされたような、幻影のような、蒼く暗い夏空を想像させるものが多い。
憧れ、いや渇望だろうか。本作のストーリーの底に同じような渇きを感じた。
[情報]
出版社: 徳間書店
ISBN-10: 419890135X
ISBN-13: 978-4198901356
発売日: 1994/06

白日

白日 (小学館文庫)白日 (小学館文庫)

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(376頁より引用)

「川井さん、あんた、能面に救いを求めているのか?」
「救いかどうかは、わからん。君が打っている面に、私が求めているものはない、ということはハッキリ分かったが。それでも、激しく心を揺り動かされる自分がいることが、どうしても納得できない。いつか、君の面を、ただの物として眺めてみたいよ」
私は、かすかに頷いた。私の手が打ち出すものは、その程度のものだ。ただ、人の心の疵を映しこもうとした。疵を疵と言う資格など、私にはないという気がする。
[感想]
本作は、北方としては珍しく、暴力とカーチェイスの描写が出てこない。
その代わり「物を創る」描写と、「釣り」「料理」への描写にこだわりを感じる。
トローリング用のルアーヘッドを創るところや、そのルアーで巨大なマグロを揚げるところは、いかにも迫力満点で惹きつけられる。
また、能面を打つ場面では、モノを創る悦びと苦しさが、北方らしい文体で表現されている。
「創る」作業とは同時に「創らされる」作業でもあり、創らされたモノが「自分の創りたいモノ」であるとは限らないと思うのだが、当にその場面が描かれている事には少し驚いた。
「無心に創り」つつ「冷静に作品を捉え」て、違うと感じれば躊躇無く壊す。創造の楽しさがここにある。カタチの無い何かを、形にしていく過程を、北方の文面で楽しめる事は、個人的に至高の喜びである。
また、作品内で出てくる料理の美味しそうなこと。特に牛肉の味噌漬と卵黄の味噌漬は、是非自分でも作ってみたい。
[情報]
出版社: 小学館
ISBN-10: 4094033211
ISBN-13: 978-4094033212
発売日: 2002/11

みるなの木

みるなの木 (ハヤカワ文庫JA)みるなの木 (ハヤカワ文庫JA)

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(70頁より引用)

橋を渡ると館までは緩いまいまい坂が続いていて、昔はここに垂直自在車や捻転エンジンの高砂籠(エレベーターのようなもの)があったから皆喜んでそういうものに乗ってしまうから、まいまい坂の土産物屋は帰りに寄ってみな掠餅やタイマン細工などを買うよ。掠餅は面白いね。掠餅は食っても減らないよ。食っても食ってもぜんぜん減らず皆な喜び庭駆け回るよ。(管水母 より)
[感想]
椎名誠の描く、オカシな世界は、とても奇妙で優しく儚い夢のようだ。
本作は短編集で、下記の作品が掲載されている。
・みるなの木(武装島田倉庫系。百舌が出てきます)
・赤腹のむし(武装島田倉庫系。百舌が出てきます)
南天爆裂サーカス団(武装島田倉庫系)
・管水母(武装島田倉庫系。中国人的語り)
・針女(中国系)
・幽霊(背後霊だかんな にちょっと似てるな)
・突進(無茶苦茶ハッスル猛烈系)
・巣(地下系のお話)
聞き書き 巷の達人(おかしな超能力者系)
・漂着者(水域系+幽霊系)
・出歯出羽虫(体が軽くなる系)
・対岸の繁栄(アドバード系?終末系?)
・海月狩り(武装島田倉庫系。灰汁が出てきます)
・混沌商売(武装島田倉庫系。灰汁が出てきます)
椎名誠の3大作品である、「水域」「アドバード」「武装島田倉庫」関係のお話がいくつか出てくるので、先に前途3作品を読んだほうが楽しめると思う。
不思議な名称をもったものが沢山出てきて、想像力をかき立てられる。漢字の名称であったりカタカナを使ったり、ひらがなで表わしたり、本当に椎名誠の言語感覚には恐れ入る。名前だけでどんなモノか想像できてしまうのだ。
大半の短編は「破壊後」のお話だが、終末小説の割に暗くない。
主人公は殺伐とした世界を「何気なく」生きて抜いているのだが、不思議な時間感覚で物語が進行するので、状況の割に切迫感が無く、無常感を感じさせている。
短編集なので、気軽に1話づつ読めるのもいい。
[情報]
出版社: 早川書房
ISBN-10: 4150306370
ISBN-13: 978-4150306373
発売日: 2000/04
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